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知り合ったきっかけは2001年に開催された「Crystal -Square Music Arrange Festival-」(通称SMAF)に、お互い参加していたことです。
その際私はベースを生で弾いていたのが印象に残ったらしく、イベント終了後にMSNメッセンジャーか何かで声をかけてもらったのが最初だったと思います。
で、RIOが声をかけた面子で一度彼の家で集まったわけです。
そのときのメンバーは、RIO、鷹(CROW'SCLAW)、大臣(現Celestia主催)、小山田昂、K-JIRO、AD794でした。
ちなみに初めて会った日の夜に、飲み屋で鷹坊がウイスキー飲んげふんげふん。
そして、そのときのメンバーをコアメンバーに、RIOがさらに何人かに声をかけて制作されたのが、
CD「浮遊大陸 -The Floating Continent-」です。
現在でこそ私もすっかりこの界隈の長老めいて、ただただ顔は広い感じでいろんな人と交流させてもらってますが、
FFアレンジ界隈の扉を開いてくれたのは、RIOでした。
彼が誘ってくれなかったら、こんなに友達が増えることもなかったと思います。
某さぷがつぶやいてましたが、本当にRIOは「人と人を繋ぐ天才」なんだと思います。
当時は、本当にいろんな人たちが、一人暮らしをしていた彼の家に集まって(押しかけて)、朝まで飲んだくれながらグダグダしたり、
To Heart2の限定版買って萌え転がったり、陵辱王が飲みすぎて英語で「Fuckin'!」しかしゃべらなくなったり、
CD「flourish」製作過程で青色インクが足りなくなったり、
岸田さんに「岸田コード」教えてもらったり、
終電で帰るはずだったふぁいすたんが終電逃して戻ってきたり、
本当にいろいろなことがありました。
「DTMerのときわ荘」なんて冗談めかして言われてましたが、本当にその通りだったと思います。
その後私は就職したのもあって、当時のように入り浸る形はできなくなったけれど、
相変わらずツイッターであほな話をしたり、あほな話したり、あほな話したりしてました。
RIOが結婚したとき、結婚式にも呼んでくれて、とってもとってもアットホームな、なんともRIOらしい式で、本当に楽しかった。
2011年に私が結婚したときも、もちろんRIOを招待しました。人前式で挙げましたが、彼に立会人になってもらっています。あの節は突然でスマンな。
ちょうどその年の年末あたりにRIOは福井へ引っ越したので、その後はさすがになかなか会えず、再会は2015年。
RIOが入院したという一報を受けて、急遽夫婦でお見舞いに行きました。
そして、それが、生前彼に会った最後の機会となりました。
年が明けて2016年1月、RIOと共催という形で、スクエニ乗り物BGMアレンジ祭を開催しました。
実際のところ、作業的な部分はすべてRIOがやっていたので、本当に私はただ名前がそこに載っていただけだったのですが、
それでも、RIOとまた一緒に何かができたことは、とってもとっても嬉しかった。
色々やってくれてありがとう。色々やらせてしまってスマンな。
振り返ってみると、本当にRIOには感謝しかありません。
ありがとうありがとう、そしてまたありがとう。
あいつにはウザがられるかもしれませんが、大分遅れてあの世で再会した際には、目一杯の感謝を伝えつつ、こう誘おうと思います。
「葵亭いかね?」