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「撃墜玉」という、一見おかしな名前の由来については、上記リンク先のQ&Aに少し説明がありますが、少し補足すると、
「撃墜王決定戦」の主催をしていたのは、先日「Friesta」を主催したCROW'SCLAWの鷹氏。
撃墜王決定戦は三回行われましたが、一回目が、今回と似たような感じの「匿名・投票による順位決定」システムでした。2004年1月末開催。
このときは確か「撃墜王」の他に部門賞がいくつかあって、撃墜王はmintjam。部門賞にも、そうそうたる面子が名前を連ねていました。
私はこのときなぜか合作で参加しています。作品は現在も公開されているので、リンク先から聞きに行くといいと思います。
最後の戦い〜少女リディア(Grandioso)
今聞いても色あせない、いいアレンジだと思います(私はベース弾いただけですが。しかも適当)。
よく見てみると、この当時からベースに関しては録音環境がまったく変わってないですな。
第二回の撃墜王決定戦は2005年の2月6日開催。
私は確か「ムジカ・マキーナ」のアレンジで参加した気がしますが、今考えると黒歴史過ぎる・・・。当時の雑記
投票期間などがあって、全日程は3月14日に終了したみたいですが、私のサイトには詳しい経過などが残っていなかったのでよくわかりません。
第三回の撃墜王決定戦は2006年の3月11日(たぶん)開催。これはCelestia 2ndと同日開催でした。
私が雑記で「合同ラジオとかやればいんじゃね?」って書いたら本当に合同ラジオやることになったという、うそみたいな本当の話があります。
私はCelestia 2ndに「愛に時間を」のアレンジを出したので、撃墜王3には参加していませんが、
さぷたんが「幽雅に咲かせ、墨染の桜」のアレンジを合作で出したことはすごくよく覚えています。
投票ももちろんありましたが、接戦となったため急遽決戦投票が行われ、4月2日に結果発表。
この時は撃墜王が某氏(さぷたんではない)になったことでなんだかいろいろゴタゴタして、それがすべての原因ではないとは思いますが、
結果的に撃墜王決定戦というイベントは休止ということになり、現在まで休止が続いています。
以上が、私が今把握できている撃墜王決定戦の時系列的な動きです。
私自身、HR/HMアレンジというのはあまりなじみがないので、あまり記録にも残していませんが、大筋はこんな感じでした。
それと同時に、撃墜王決定戦は単純に良曲が集まるだけでなく、「アレンジとは」とか「WEBイベントのあり方とは」といった問題提起がなされ、
イベントの前後に各所でそれについて議論することで、アレンジ音楽界隈に与えていた影響も大きなものがありました。
投票の是非。公平性の確保。ジャンルについての議論・・・。
多くの問題は結論が明確に出るものではありませんが、そもそもそういう問題について、
議論すること・みんなが考えることが必要だということを強く訴えかけたイベントだったと、私は記憶しています。
思えば、撃墜王決定戦3の頃が、一番界隈がWEBで盛り上がっていた頃かもしれませんね。
その後、作品発表の舞台はWEBでの公開からCD媒体での公開へとシフトしていったように感じられます。